インタビュー

vol.02 玲子さん、正枝さん編

参加者(質:質問者 玲:玲子さん 正:正枝さん)

質:お二人が小さいころ(昭和30年代)の会社はどんな感じだったのですか?

玲:私たちが小学生の頃は浅草で家具屋をやっていました。国際通り沿いの寿3丁目にお店があったんですけど、向こう三軒両隣、全部家具屋さんでしたね。 お店はとても小さくて、今のコンビニエスストアの半分くらいの大きさだったんじゃないかな。お店と家がくっついてて、私たちはお店の裏側の1階に住んでて、住み込みの従業員さんが2階に住んでました。1階に食堂があるんですけど、そこで従業員のお兄さんたちと一緒にいつも食べてました。「たまには家族だけでご飯食べたいな~」なんていつも思ってましたね。

正:従業員のお世話をしたり、食事を作る為に、お手伝いさんがいて、いつも、ご飯とお味噌汁と、漬物とか、一汁一菜という感じでしたね。まだ、そんなには贅沢ができない時代でした。

質:どうして家具屋さんを始めたのですか?

正:おじいさん(初代社長)が手先の器用な人で、桐ダンスの職人をしていたんです。父(2代目社長)も若いうちからそれを手伝っていました。戦後は、自分で作った家具をリアカーに積んで売っていたらしいです。物がない時代ですから作ると直ぐに売れたらしく、これが家具屋を始めるきっかけになったらしいですよ。

質:会社の雰囲気はどんな風だったんですか?

正:戦後は物がなかったのですごくよく売れたんですよ。

玲:どこのお店も水曜日休みなんですが、「お店を閉めていてはもったいない」と言って母がシャッターを半分だけ開けて店番をしてるんですよ。従業員は休みなのに自分だけは働くんだなって感心してみてました。だからお休みするのは月に1日くらいだったような気がします。

正:晩御飯の会話は仕事の話ばかりでしたね。父が、見栄っ張りな性格ですぐに困った人にお金を貸しちゃうんです。母が「また、返ってこないお金貸して!」って怒ってたのをよく覚えています。

玲:「今日はいくら家具が売れた」とか、「銀行からいくら借金をしなきゃ」とかが、話題の中心で、「サラリーマンの家に生まれたかった。」って、いつも思ってました。

正:私も!(笑)

質:従業員さんはどんな方が働いていたんですか?

正:従業員は富山から中学校を卒業して入社してくれる人が多かったですね。父の故郷が富山なので、その親戚・知り合いが多かったんだと思います。

玲:住み込みで6人位働いてくれてました。父が厳しい人だったので、従業員が辛くて辞めたいと言うと母が「会社にはあなたが必要なんだからもう少し頑張ってみてよ」なんて言ってなだめてましね。そこで辞めないで残ってくれた人たちが、お店が大きくなった時に活躍するようになっていったんだから、いま思い出しても、母の支えがすごく大事だった気がします。

質:夫婦で支え合って、会社を大きくしていったんですね。

玲:そうですね、父は借金をしてでも事業を伸ばしたいという野心がすごくありました。お店の隣を買って店舗を大きくして、その後も家具を保管する倉庫を作ったり、私たちが20代になるころには千葉にお店を出すようにもなりました。

正:負けず嫌いで、当時珍しかったTVを近所の家具屋が買ったと聞くと「負けたくない」と言って買いに行っちゃったり、洗濯機や冷蔵庫も出始めたら面白がって直ぐに買ってましたね。

玲:そのたびに経理の母がお金の心配をしていたという感じでしたね。

正:私が小学生のころには、ヨーロッパに家具の視察に行きましたね。TVが撮影に来たりして、 海外旅行がまだ珍しい頃だったので、すごく驚きましたね。

質:なぜ、千葉に進出したのですか?

玲:昭和40年代に入ると、千葉に住宅地が増えていって、お客さんも千葉から買いに来る人がすごく増えたんです。逆に浅草は大きな家具店舗ができたりして、少し売れ行きが悪くなっていったんですよね。

正:千葉に店舗を増やして、今でいう多角化って言うんですか?違う事業にチャレンジしたりするようになりました。

玲:千葉に引っ越してきたときは、「すごい田舎に来ちゃった!」と思いました

正:私も思った!(笑)今と違って原っぱばっかりでね。

玲:でも、千葉に来ることで、小さな町の個人商店から企業へと飛躍することができて大正解だったと思います。

正:どれもこれも今となっては良い思い出です(^^)

質:これから事業を継承して続けていく社員の方に期待することなどありますか?

玲:一時的に儲かることはあっても、事業は長く続けるのは本当に大変です。時代の流れがあって、その時に何が売れるのかを見極めるのは至難の業だと思う。

正:これからは時代の流れが速いからもっと大変かもしれない。

玲:けれど、いつの時代も、個性的で良い従業員さんに支えられて私たちはここまでこられたので、人を大事にして、みんな仲良く、これからも事業を続けていってもらえたら嬉しいと思います。